自然とのふれあい

 

■自然の神秘さに目をみはる感性
いまの子どもたちは自然から遠ざかり、自然の神秘さや不思議さに目をみはる感性を開花させる機会が少なくなっています。子どもの時に根づいた、自然のにぎわいに豊かさを感じる心は、他人を思いやり、命を貴び、そして地球環境をいとおしむことにつながります。

20世紀から今世紀にいたるまで、地球では開発と経済発展、生活の近代化がいたるところで進みました。しかし、様々な形で自然破壊も進み、空気や水は汚染され、森林は消えて、生態系が壊れるなど、地球環境は深刻な危機に陥っています。人類が英知を結集して地球規模で取り組まなければ、将来にわたる生命の存続自体が危ぶまれます。

多くの人に環境保全の意識を育み、その取り組みに参加してもらう努力が欠かせません。そのカギを握るのが、環境教育です。環境教育は、大量生産、大量消費、大量廃棄で支えられた私たち自身の価値観を問い直すものです。

 

■「体験」でエネルギーから変える
環境教育といっても、机の上で学ぶだけでなく、自然とのふれあいが肝心です。直接的な自然体験をすると、生態系や人と自然の結びつきをより深く理解することができます。例えば、森林の階層構造やブナ、ミズナラ、トチノキのような大木を中心とした森林・河川生態系の安定などについて肌で感じ、その有難みをかみしめることができます。情報として知るだけでなく、体験を通して、自分のエネルギーから変えていく必要があります。

かけがえのない地球と「共生」し、そのために必要な行動がとれる人材を育てることは、持続可能な社会の実現につながっていきます。

 

■共生は誰にも備わる本性
共生は誰にも備わる本性であり生まれ持った感覚です。一人ひとりが共生を選択し 共生の感覚を目覚めさせ、共生を実践することによって、世界を救うことができます。地球上のすべての生命はつながっています。助け合わないと自分も生きられません。

人類はこれまで共生の範囲を「家族」「職場」「国」などに限定してきました。しかし、パンデミックで学んだように、その範囲を「全人類」と「地球全体」に拡張していく必要があります。

 

■環境教育の発展

「環境教育」という言葉が国際的に強調されるようになったのは1970年代からです。米国では1970年に環境教育法が制定され、1972年にストックホルムで開かれた国連人間環境会議でも「あらゆる段階の教育の場で環境に関する教育を実施する」ことを勧告しました。

日本の環境教育のルーツは、1960年代から1970年代を中心に行われた自然保護教育と公害教育だと言われています。環境庁(現:環境省)は1986年、環境教育懇談会を設け、環境教育を環境行政の一つの柱として位置付けました。

1991年には文部省(現:文部科学省)が「環境教育指導資料」の中・高校編を、1992年に小学校編、さらに1995年には事例編を作成。ようやく環境教育は学校教育の場で認知されるようになりました。

 

■生物多様性国家戦略で「ふれあい」提唱
2003年には、環境教育推進法が議員立法により成立しました。教育基本法でも2006年の改正では義務教育の目標の一つに掲げられました。2007年に採択された「生物多様性国家戦略」では、4つの基本戦略の中に「放課後の自然体験学習や『五感で感じる』原体験」が盛り込まれました。

さらに、2014年に改訂された「新・生物多様性国家戦略」では、「自然とふれあう機会を増やすことにより、私たちは、人が自然生態系の構成要素のひとつであることを認識し、自然との共生への理解を深めることが可能となる」と指摘しました。みんなで「ふれあい」の機会を設け、持続可能な地球を子どもたちに残していきましょう!

 

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