人間と自然は別個の存在ではなく、ひとつにつながっています。「ホモ・サピエンス(知性人)」などという呼称は、あたかも人間が他の生物よりランクが上のような印象を受けますが、人も自然の一部であり、自然によって生かされている存在です。
人間は60兆個の細胞から成り立つといわれます。一つ一つの細胞は生きています。生きているということは、終わりがあります。10年前に自分の体を構成していた細胞は、今は存在していません。
それでも、「私」という存在は続いています。その存在の本質は、自然や他の生命とのつながりの中にあります。一つ一つの命は孤立したものではなく、互いに関係しあっているのです。
私たちの命に限りがあることは、人間が自然の一部であることを示す証拠の一つです。桜の花と同じように、人にも寿命があります。昔から、日本人は桜や紅葉などの自然と、自らの死生観を重ねていました。小林一茶の「死に支度 いたせいたせと 桜かな」という句は有名です。良寛は「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」と歌いました。自分も自然の一部であるという感覚が見てとれます。
私たちの身体も心も自然も、エネルギーという同じ材料でつくられています。天地に満ちているエネルギーと私たちの身体に流れるエネルギーは同じものです。エネルギーを感じる瞬間、私たちはすべてとひとつにつながっているのです。
地球は、人間が地球に来る前から存在していました。自然はある意味、私たちの源であり主人です。自然は私たちを産んでくれた両親のような存在。すべての命は自然から来て 自然に戻ります。
ところが、文明の発展とともに、生活の中でも、私たちの心の中でも「自然」の存在が失われてしまいました。いつのまにか人間が自然の主人の役割をし、自然を支配するようになりました。地球がいつもそこにあるのが当たり前だと考えるようになりました。地球の資源を自由に使える対象と見なすようになりました。とりわけその意識を強めたのは、近代の産業化です。様々な汚染物質が捨てられ、地球はゴミ捨て場のような存在になりました。地球環境は危機に陥りました。
人間によって自然の環境が汚染されるだけでなく、自然の一部分である人間も汚染され、人間性まで汚染されました。今は自然も本来の姿を失い、人間も本来の姿を失いつつあります。
それを回復する運動が「地球市民ムーブメント」です。私たちがそれぞれ地球市民として人間本来の価値に気づき、自然環境と人間性を回復させることを目指します。
地球を取り戻すためには、私たち一人ひとりが自分自身を変え、家庭を変えることから始めていきましょう。そこから生まれる力で、私たちの社会と地球をより住みよいところに変えることができます。まるで自分の体や家を管理するように、主体的に地球をケアし、管理するという「地球経営」の意識を目覚めさせることが、最初のステップです。
「私の体は私が守り、私の家庭は私が守る。自然環境も専門家や政府だけに任せるのでなく、私たちが守る」。地球市民ムーブメントでは、このような方向を選択し、足元から実践していきます。