【地球アレコレ13】ベトナム4

この二人は夫婦ですが、田舎の青空市場で買おうとしている鶏の品定め中です。肉付きはどうか、病気じゃないか、見るポイントがあるそうです。

日本で魚が丸ごと売られるように(最近は切り身が多いですが)、ベトナムでの鶏肉の流通は生きたままの鶏として運ばれます。屠ってから流通させると冷蔵庫やパッケージが必要になりますが、生きた状態なら何もいりません。それに生きていれば絶えず勝手に新陳代謝を繰り返してくれて、その生命自体が腐敗菌の増殖も防いでくれます。おなかが空けば、大地にある植物やミミズなどを勝手に食べてもくれます。

ところが死んだ状態、命のない状態だと、腐敗菌の増殖を防ぐために真空パッケージやら冷蔵庫やら、更には防腐処理や保存料の添付など、多くの設備が必要です。さらには流通も迅速さを求められ、保冷車が必要になります。そうした社会や経済のインフラが整ってこそ、すぐに調理できる鶏肉が入手できますが、各家庭で料理前に屠るという労働エネルギーと引き換えに社会のエネルギー、ときには電気などの資源エネルギーも使う、という構図でしょうか。いずれにせよ何かのエネルギーは使うのですが、個人が産みだしたエネルギーを使うか、経済社会が産みだしたエネルギーを使うのか、ということかもしれません。

 

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 大きなハレの日、特にテト(ベトナムの陰暦のお正月)の前は、日本同様に大量に食品が売られたり買われたりします。鶏をまとめ買いする女性も多く、こうして自転車のハンドルに括りつけて運んでいきます。鶏1羽が1L~1,5Lのペットボトルほどの重量だとすれば、けっこう重いはず。女性は強し、特にベトナムでは。ちょっとふらつきながらも、コケたりひっくり返ったりまではいきません。無理だと判断すれば素直に自転車から降りてゆっくり押し歩いていきます。ベトナムでは小柄な女性が多いのですが、逞しい、という言葉が 特に市場ではピッタリします。

エネルギーを生み出すのは石油や天然ガスばかりではなく、こんな人間の“生きよう”という心もまた、活動するエネルギーを生み出します。そのエネルギーを使っても、二酸化炭素も放射線も出さず、産業廃棄物も生じません。その代わり小規模で持続性はあまりなく、一日に決まった長さの休息を必要とします。

この地球でもっとも大規模で持続性のあるエネルギーを生み出し続けているのは、空にある太陽でしょう。石油がなくても植物は育ちますが、太陽がなければ、、、植物どころか、この豊かな生態系がないかもしれません。また、石油や天然ガス、ウランや石炭は、そのエネルギーを使えるようにするために、大量のエネルギーを使います。大地を掘って、タンクに溜めて、運んで精製して、また運んで別の貯蔵庫に溜めて・・・。大量のエネルギーを得るために大量のエネルギーを使う、どことなく大量生産・大量消費という昭和時代の高度成長期のキャッチフレーズのようですが、大量ゆえにそこから漏れるエネルギーもまた多く、大量の無駄遣いもしています。

心もまたエネルギーを生み出し、そのエネルギーを使って純粋に生きるだけではなく、ときには愚痴ったり否定的な感情に消費したりします。石油エネルギーを使うと二酸化炭素が生じてしまうように、否定的な選択は自分を滅していくエネルギーを産み出してしまいます。私たちの身体は生きているので、自動的に各器官が働いて食物を消化し、腐敗菌の増殖も防いでくれますが、そうした生命エネルギーがもし心のエネルギーで活発になるかどうか決まるとしたら、否定的な心のエネルギーは腐敗菌を増やし、各種の病気をつくりやすい状態にするかもしれません。逆に肯定的な心のエネルギーは、生命そのものを活性化させ、身体をより良く動ける状態に保つかもしれません。その身体を使って楽しさを選択しながら活動すると肯定的なエネルギーの循環を生み出し、生活自体が愉しみとなるでしょう。

さて、新鮮な鶏肉が美味しかったかどうか・・・ それもまた心のエネルギーによって決まるのかもしれませんが、若鶏でなければたいてい、硬くてどっしりしています。特に自然に育った鶏からは、とても美味しいスープがとれます。でも味は一瞬のことで、それが体内でどのように変化し、どのようにエネルギーになるかがより重要ですね。本当に肯定的な活動エネルギーになって消費できるよう、食べることを疎かにせず、体内をよく感じながら食べてみてくださいね!

 

 

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