【地球アレコレ27】 トルコ 3

 

古い街は、たとえ大都会であっても、どことなくしっとりとした感じがあります。それを重い空気と表現することもできるでしょうし、伝統からくる安定感、ということも出来るでしょう。その空気感は、そこで生まれ育った人々によって維持されることでもあります。

 

人々はそれまで親や親戚たちがしてきた通りに仕事をしたりお茶を飲んだりして、当人たちの感覚では『普通に』生活を送ります。そうした『普通』が積み重なって、その土地それぞれ独自の空気感や雰囲気が生まれます。

 

イスタンブールは、壮麗なモスクや何世紀もの歴史を誇るマーケットなどがとても目立つ、歴史ある街ではありますが、そこに住む人々にとっては日常的なことの繰り返しです。そして海の街でもあります。
前回、鯖サンドを紹介しましたが、大きな鯖を捕まえる大掛かりな漁だけではありません。海の街の雰囲気に相応しく、いつも護岸から釣り糸を垂れるオッサンたちがいます。

 

その “オッサンぶり” は完璧なほどです。背中をちょっと丸めて哀愁を漂わせ、長い歴史の風雪に耐えてきた石の建築物であるかのよう。それくらいどっしり動かず、たまに動いてもスローモーで、釣り糸を操る手もゆっくりです。トルコ葉とも呼ばれる世界的なタバコの産地を国内に持つお国柄らしく、くわえタバコ率はとても高め。(でも屋内禁煙という昨今の風潮は世界共通です)

 

何が釣れるのかとしばらく眺めることにしました。が、そのうち自分一人だけ、この空気と合ってないと感じました。荷物が多すぎ(カメラバッグや撮影小道具やら)、ついでにワタワタと動きすぎ。もっとゆっくりぼんやり、慌てず騒がず・・・。そう意識している時点で、もう心は騒いでいるのかもしれませんが、一応演技でもこの空気感に合わせて、っと・・・。

 

オッサンたちには、たいていギャラリーがいます。友人ではなさそう。ただぼんやり釣っている人とそれをぼんやり見てる人、という構図です。ときどきギャラリーが一言二言、声をかけて去っていくと、その空いたスペースにいつのまにか別のギャラリーが来ます。それは街の空気としか言いようのない不思議な調和です。ギャラリーが増えすぎることもなく、ゼロにもならず、三々五々という言葉がピッタリです。

 

詳しくは分かりませんが、釣れているのは小さなアジのよう。釣り人もギャラリーも、魚が掛かったからといって眉毛一つ動かしません。東洋では禅の修行を岩や石に喩え、西洋では釣りに喩える、どちらも心を完全に鎮めること・・・そんなことを思い出したりします。

 

ちなみに小魚は、ウロコと内臓の処理をされたあと、頭を落とすかそのままかで小麦粉をまぶしてオリーブオイルで揚げることが多いようです。三枚に下ろす、干物にする、という文化をありがたく思いつつ、小骨に気を取られながらパンやスープとともにぱくつきます。

 

まったりとした空気感は、時にとても優しく、また安心していられるものでしょう。エネルギーが程よく流れている、という感じでしょうか。でも根本は自分がつくりだす自分のエネルギーです。どこで何をしていようと、中心はいつも自分なのかもしれません。

 

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