【地球アレコレ20】 タイ2

前回はタイ料理の香りや刺激についてお伝えしました。

タイ料理といえば、世界三大スープなどとよく言われるスープのうちの一つ、トムヤムクンがあります。直訳すればエビの煮込み合え、という意味だそうです。酸味と辛味に様々な香草で香りづけされたスープは、熱帯の気候と本当に合います。

さて世界三大スープ、他はフランスのブイヤベースと、もう一つが諸説あります。ボルシチ(ロシア)だ、フカヒレ(中国)だ、サムゲタン(韓国)だとお国自慢もあって、なかなか決まりません・・・。

決まる?

 

あれ、決まるって?

 

多くの人々が評価をしてきた結果、伝説のように三大○○が出来てきた、のではなくて、何かによって決められてきた? 例えばマスコミやら料理の世界の権威やらが、世界中で好き勝手に三大○○だと言ってきた?

そうなのかもしれません。

タイ国内で、世界三大スープの一つがトムヤムクンだと言って胸を張るのは、外国からの旅行者を相手に仕事している人たちばかりで、一般の人はそもそもあまり関心がありません。ただ美味しいスープを作って、オーケストラのような香りの交響曲を味わうだけです。そして寺院に出かけてお祈りしたり、屋台でお酒飲んだり・・・。

三大スープがどうとか、世界遺産がどうとか、果ては世界の百名勝地に選ばれたとか選ばれないとか、実際にそれを決めるのは人々の声ではなく、何かしらの権威とお金の力。そう言うと皮肉に聞こえるかもしれませんが、タイに限らず大陸の国ではそうしたリアリストの面があります。力のある人や会社が根こそぎ社会を変え、また追い落とされたかつての権力者が一瞬で朽ちていくのを、何世代も見てきたからでしょうか。日本で言えば、明治維新ほどの大転換が二~三世代ごとにあったら、という感じでしょう。そのたびに振り回される東南アジアの庶民は、栄枯盛衰の現実をうんざりするほど見てきています。だからといって諦念感情に沈んでいくのではなく、自分に関係ない限りは興味を持たない、という姿勢を感じます。深刻になることも少なく、まあ淡々といこか、なんとかなるよ・・・という雰囲気が溢れていて、タイとマレーシアには特に強くそれを感じます。

その象徴的な、(と旅行者には感じられる)ものの一つが寝釈迦像かも、です。そういうのがあると知ってはいても、目の当たりにすると不思議です。不思議がっている自分を見て、地元の人々は不思議がり・・・ません。目が合えば反応はしますが、良い意味で放っておいてくれます。同様に、寝釈迦像も放っている感じです。気楽に行きな、大丈夫(マイペンライ)、あれこれ社会に執着しても仕方ないでしょ? ・・・

この寝釈迦像は、タイの各地に普通にあります。崇拝や畏敬の念で仏像を創るとしたら厳かさを強調するかもしれませんが、どんな感覚でこの仏像が作られ、歴史になってきたのでしょうね。

写真は、歴史的な寺院が多くある古都アユタヤーのとある寺院。仏教の色彩が特に強いこともありませんが、信念をもった信者も多くいて、歴史的な大きい寺院が大きな金額の寄付で成り立っています。当然そうした寄付の一部が寝釈迦像になったり、その修繕費になります。その寝釈迦像を拝みに来る近隣の人々は、靴を脱いで深いおじぎ(立って座って)をしてロウソクや花飾りを捧げます。そこで寝釈迦像のマネをする人は見たことがありません。ゴータマ・シッダルタさんは、自分の寝そべった姿があちこちにあるのを、どんな目でみているのでしょう(笑)。放っているかもしれませんが。

 

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