【地球アレコレ2】聖なる牛 聖なる人?

 

前回はインド・コルカタの交通事情をお伝えしました。
交通事情はまあ、インド各地で似たようなもので、さらに言えば、世界的に見ると、あのような状態は珍しくはないのですが・・・。

いえ、珍しいことがありました。

野良牛は、他の国では道を横切ったりしていません。
(原野をゆくバッファロー、とかではなく、人の住む街に、です)
野良、と言いましたが、もしかすると、街全体で飼っているのかもしれません。飼っているとは丁寧すぎる表現で、実際は放置されてまあ好きにやれ~ 状態の牛も珍しくないのですけど。

 

さて、ヒンズーの方々は、牛を聖なる動物としています。牛もそれを知ってか知らずか人間を恐れませんし、どちらかといえば無関心のようです。ときに は店先にある食品に手ならぬ舌を出し、店主に追い払われたりしていますが、人間側から罰を与えて~ということは無いようで、また悠然と去っていきます。 人々も特に問題にせず、何事もなかったかのように通り過ぎていきます。

 

そんな事情もあり、インドの主流を占めるヒンズーの方々はビーフ・牛肉をまず食べません。そもそも、普通には売っていません。
ヤギや羊、チキンはよく見かけますが、ステーキのようなものは、外国人相手のレストランで見かけるくらいです。さらに言えば、インドでは国民の半数が肉を食べない、ベジタリアンです。その区分はかなり厳格で、“ときには肉でも~”、ということはほとんどないようです。

 

また、カースト制度が色濃く残り、誰と食事をするのか、どんな調理法で誰が調理したのか、とても気を使います。つまり、見ず知らずの人が料理したものを食べることは、普通はありません。結果として、家庭で食べることが主となり、外食するところは極端に少ない状態です。

 

そうした “異質さ” は、例えば大航海時代を考えさせられます。当時のヨーロッパから世界中に航海に出た人々は、まったく異質な、見たことも聞いたこともないような文化と触れ合い続けていたでしょう。
現代のようにガイドブックやインターネットがあるわけでもなく、お互いに言語も文化や生活スタイルも、まるで理解できない人々が出会って、どんなことが起きたか。
残念ながら、そもそも大航海の目的が文化交流ではなかったので、世界中でたくさんの争いを生み出しました。ただ、種族間、民族間ではそうであっても、個人レベルでそれぞれに、どんな意識の変化があったことでしょう。
未知の考え方、生活習慣、文明、文化に触れて、何を
思ったことでしょう。また、そこに住み着いたり、または奴隷として連れてこられた人々の、二世代目、三世代目は、どんな意識の変遷を
してきたのでしょう。

 

異質なこと、自分たちとは異なる思考、習慣、家族観、文化は、いつも存在します。それを理解したり受け入れたりすることが大事だと言われ続けていますが、それはつまり、未だできていない、ということですね。
異質なこと以上に、お互いに同質な面、同じことに中心価値を置いていなければ、いがみ合ったり、喧嘩したりが何世代も続くのは当然のことかもしれません。

価値観のチェンジ、より大きなことを中心にしようという中心価値のシフトが先ずあってこそ、次にお互いを受け入れ、お互いの違いを地球人として楽しみ合うようになるでしょう。そんな地球市民の意識が当たり前の時代が、もうすぐそこ、なのかもしれません。
インドの野良牛と野良犬が同居して、お互いに恐れず、自然にそこにいるように。

 

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