気はあまりにも日常会話のなかで使われすぎていて、
改めて考えると不思議というか、曖昧模糊、漠然としてますね。
気功の功は、工夫するとか、活かす、というような意味があるようです。
気を工夫し、活かしていく、気功。
エネルギーを感じる体験を繰り返しながら、気を体感的に掴んでいき、
その先にある美味しい食べ物、気功、という感じでしょうか。
Change提唱者、一指 李承憲氏の
気功についての何とも楽しいメッセージをどうぞ!
すべては気功
Everything is Qigong 一指 李 承憲 http://www.ilchi.com/
気功とは何でしょう?
気功は何かしら手や足でするもの、ではありません。
歌うことも気功です。それは、口でする気功です。
あるいは、講義をする、それもまた、気功です。
気功でないことは何もありません。
農作業は農作業気功、料理は料理気功、洗濯は洗濯気功、
そして赤ちゃんを生むことは出産気功、結婚は結婚気功。
気功はつまり循環であり、気との交わりです。
身体と動作で生命エネルギーを表現するコミュニケーションです。
気功を通して、真実を分かち合います。
気功を分かち合い、真実を表現します。
やること為すこと全ては、気功しながら自らを思います。
気功の訓練は、決められた動作をする必要がありません。
歌うことで気功の訓練ができ、呼吸でもできて、
さらには歩行でも気功の訓練ができます。
もし人間関係に気を使うなら、それも気功をすることです。
気を込めず、エネルギーを使うことも無く歌うのなら、
あるいは「愛してる」などと言うのなら、全くパワーがなく、
楽しくもありません。
でも声が流れるように自然にでるなら、気が込められています。
そして、そこには何かしら魅力があります。
他の人に快活だと感じさせます。
そんな魅きつける力、ミツバチを呼ぶ花のように。
それは、まるで食べ物。
風味が良ければ、ただ美味しい。
気は、生命の味です。
もし行動に気を込めるなら、幸運が付いてきます。
~ 自分自身であれ
自分の本当の姿を表現するとき、そこに気が込められています。
なので、歌の気功をしているなら、自分の声に自分でビックリするまで、
熱狂的に歌ってみてください。
歌い終えて、きっと思うでしょう。「ああ、私の声キレイだったな」と。
自分の本質が出てくるためには、自分の声に自信を持ことです。
誰かが歌うのを正確にマネして歌おうとしないでください。
みんな違うのです。
声帯が異なり、環境も異なります。
歌気功をするため、自分自身の歌を自ら作ることが必要です。
自分の声帯に合うやり方で、歌ってください。
誰でも自分自身の個性的な特徴を持っていて、特有の美しさがあります。
隠れた能力を高めましょう。
気功はあなたのユニークな特徴を引き出し、表現させるようにします。
それと、もし上手くいかなくても、
自分が何か間違ったんだ、というような結論を出さないでください。
やること全てに、自信を持ってください。
ちょっと思考を変えてみましょう。
「あ~、練習が足りてないってだけだよね、何も間違ってない」
車の運転の教習を受けるときと同じような感じです。
最初は、上達してないように思えます。それで、ふと感覚が目覚める瞬間が
何回かあって、それから運転できるようになります。
体にも同じことが言えます。
感覚が目覚めるまで練習していけば、自分にピッタリ合う声を
コントロールすることができるのです。
~ リラックスして呼吸
声とは、つまるところ呼吸です。
呼吸と繋がっていることが大事です。
それだけで、心地よく歌えて、気を込めることができます。
つまり、感情と魂を込めることです。
私たちの脳の潜在的な能力は、声や魂、そして感情と共に現れて、
それらは完全に一体になっていくでしょう。
ただし、思考・恐れ・心配などは、魂と感情が
自分の歌と繋がることから遠ざけてしまうかもしれません。
気を散らすような思考は、どんなことからもエネルギーの流れを妨げます。
そうした思考や雑念は、自分への自信と信頼をぶつ切りにしてしまいます。
とてもリラックスして楽なときに、自分の声を見つけられます。
完全に自分自身の声に没頭し、それと一つになりましょう。
すると、雑念は完全に絶たれます。
自分の声でワクワクするほどになり、うまく操ることもできます。
そうなれば大きな声を出す必要もありません。
静かに歌いながら、声や歌の感じを得ようとしてみます。
そして瞑想状態に入り、やがて内なる神性が声を通して溢れてくるでしょう。
神性のエネルギーとともに、生命が流れる、それこそが気功です。
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