【地球アレコレ15】ベトナム5

 

15世紀からのいわゆる大航海時代、アジア全域は産業の進んだ欧州各国に一度は支配されました。統治・属領・植民地、名称はどうあれ、国と国で仲良く友達付き合いをした訳ではありません。日本も明治維新以降、国家の根幹は上手に支配され、さらに直近の終戦である1945年から7年間は公式的に占領され、現在まで繋がる様々な仕組みができました。

さて、友好的であれ敵対的であれ、異なる文化が触れ合うことで生じる新しいエネルギーがあります。それは思想となったり文化となったりしますが、日本では和洋折衷という思想が文化として花開いた感じさえあります。つまり、誰も意識しなくなる、溶け込んだということですね。

ときには文化の敵対的な触れ合いから被害意識が凝り固まった思想を生み出し、悲劇的な現実を創り続けることもあります。世界には近隣間の紛争、憎しみの連鎖があまりにも多すぎます。

ところでベトナムは、歴史的な背景が韓国とよく似ています。強大な中国からの影響を受け続けた王朝支配があり、かつては漢字文化で後に独自の表記を創造し、またともにキリスト教が国に広く浸透し、南北の分裂をさせられ、米国の参戦で収集がつかなかった戦争の惨禍を舐め、そこからのパワフルな国力回復を経験しています。(韓国と北朝鮮はまだ分裂中ですが)

ベトナム戦争は壮絶なゲリラ戦で、また多くの日本人ジャーナリストが戦場で命を落としたことでも知られています。米国と戦ったという印象が強いかもしれませんが、元々はフランス植民地であることからの独立戦争であり、さらに革命を進めようとした国民と現状維持を望む国民との内戦でありました。

(内戦にさせられた、とも言えますが)

さて、宗教的には写真にもある仏教(大乗仏教)が主流のベトナムでは、食べ物に拘ることがあまりありません。基本的になんでも良く食べます。性的にもおおらかで、それがエイズの蔓延を引き起こしたと言われるほど。大乗仏教が主流の国では、人々に戒律や義務をあまり押し付けない傾向があります。日本での仏教はお葬式のときに使われていて、日常生活的には神道が根付いていますし、地域によっても様々な宗教が大きく融合し、ある視点からはメチャクチャかもしれませんが、宗教で争うということが分からないのは幸せなことかもしれません。まさに大和ですね。

日本での仏教僧侶の多くが戒律に縛られておらず、結婚も肉食もできますが、同じ大乗仏教でもベトナムの僧侶はいわゆる修行人です。(全ての僧侶がそうでないのは世界共通です)触れるべからず、とされる戒めも多くあるなかで一生を送りますし、結婚もしません。

そうした戒めが有用なときも無用なときもあるでしょうが、修行そのものは当人を裏切ることなく、成長に役立つに違いありません。それほど、多くの僧侶が静かな深い目を持っています。

この少年僧は当時17歳。学校にはあまり行けず、10歳ぐらいのときに此処に来たそうです。静かに訥々と語りますが、でも自信のない声ではなく、出会った他の僧侶たちと同様、真っ直ぐに目をみて腹からの声で話します。その彼の願いは世界観を広げ、世の中の真理を知りたいということで、そのため独学で英語も勉強している、と。その雰囲気や体から発するエネルギーは懐深く、大きな苦難を体験して乗り越えてきたような香りを醸しだしていました。

もし、世の中がヒーリングのシステム、福祉のシステムを正確に持っていたとしたら、不慮の事故や大きな苦しみをサポートし、またその人が自立して前向きに生きていけるようにできる人材の養成をしていくでしょう。ベトナム戦争後の混乱期、その役割の一部を大乗仏教寺院と僧侶たちが担いました。

それを宗教ではなく、教育で、法則で、システムを創っていけないものでしょうか。

人生の苦しみから逃れさせるためのエンターテイメントではなく、いずれにせよ人生は苦しいのなら、それを乗り越える強さや、大きな素晴らしさを体験できるための教育を創りだしていくことができないでしょうか。

人々を一定のルール下で活動させるための法律を超えて、本来の人間の在り方が感じられる【法】【法則】を伝えることを大きくやっていくことはできないでしょうか。

私たちは堂々として生きていきたいし、心から、魂からの香りに包まれて生きていきたい、それが普通のことになる社会を創りだしてみませんか。まず自分が、自分たちがチェンジすることを通して。。。

 

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