【地球アレコレ12】ベトナム3

 

ちょっと私的すぎる事柄ですが・・・。
学生時代に運転免許を取得した時に、免許という単語にちょっと違和感がありました。
英語ならドライバーズライセンス、運転手として認可というところでしょうが、
免許というのは、車の運転がダメなことを解かれ、車の走行を許される、と言う感じが、どうにもお上(かみ)臭い、許してくださいと陳情しなきゃならんのか、ちっ! なんてワカメのアサリじゃなくて若気の至りで思案したりしました。その後の結論は別にないのですけれど・・・。

 

道を管理しているのが国だから、その国有地を安全に走行するための許可を得よ、その道の維持管理費を負担せよ、というのは尤もです。ついでに、個人の土地私有が認められていますが、固定資産税を負担します。結局、日本の土地は私有地でもなんでも国が全部管理しているから国のもの、となるのかもしれません。

 

さて、一つの前提は、より大きな前提に立つと、どうでも良くなったりします。
大きな前提として、地球は地球人が管理しているし、地球上の資源は地球人が管理している、そんな視点からは、免許だろうとライセンスだろうと何でも同じです。ただ人間が作り出したシステムが強固になりすぎて大きな視点を持ちにくくなりました。国も、政府も、役所にいろいろ提出する何とか届や申請願いやらの紙も、すべて元々は目に見えないシステムですね。

 

なんのためのシステムか、といえば、みんながより良く生きていくためのシステムでしょう。様々なルール、法律なども、全体のより安全な生活のために制定されたものでしょう。

 

ベトナムは社会主義国家ですので、社会がうまく回るためのルールがあります。でも、どこの国でもそうでしょうが、社会がよく回るために必要なのは法律や裁判所の数ではなく、人々の良心や思いやりでしょう。
 

写真はベトナムの首都、ハノイの路地。冬の早朝は結構冷えこみます。20度を下回ることもたびたびあります。それでも路上には屋台がでて、人々はふらっと寄っては去っていきます。その路上での活動は、土地がみんなのものだと感じさせます。そして同時に社会見学のための舞台でもあるのでしょう。この小さな女の子は、母親のお手伝い(というか本人にとっては遊びかも)をしながら、愚図ることもなくただ母親のそばにいて、母親もまた自然と娘を受け入れ、ときどき思い出したように話しかけたりします。そういえばベトナムには、娘は母のそばにいるという風潮だったか諺だったか、とにかく娘は自分の母親をとても大事にする傾向があるそうな・・・。
熱帯地域の道路にいると、そこにたくさんの経済活動や生活が展開されていて、様々な習慣、社会的風潮や人との関わりを見せてくれます。そして何よりも、美味しいです(笑)。言葉は通じていませんが、ベトナム内のこのような屋台で法外な請求をされたことは一切ありません。例えば100円のところを150円としたって分からないだろうに、(そもそも何をオーダーしているのかも分からない、指さすだけで)暗黙の了解がある幅の範囲で売って、それを請求してくるだけです。淡々と。まるでそれ以外のことなど考えもしないかのように。
道路でのその方たちのテリトリー(?)は大抵、豊かではない、むしろ貧しいですが、正直さ、良心、という意味ではとても安心できます。言葉は通じなくとも。

 

かつてガンジーが良心なき経済の罪について語ったように、
Change 提唱者、一指 李承憲氏は、人間性が喪失された社会での限界を悟り、どうしたら人間性が回復され、学業の天才、というように、人間性の英才が養成されるのかに心を砕いています。人間性は、社会のシステムと同じように目に見えません。ですが、一挙手一投足に微妙に表現されるものでしょう。それがひいては、集団的なエネルギーの場を作り、その場が大きな社会システムを作り、地球の現状を作り出していることでもあります。
どこの国が良い悪いではなく、私たちは地球そのものを覆っているエネルギーの変化を必要としている時代に生きています。まずは一人一人からです。人間性の回復をして、一緒に人間性の英才へとエネルギーチェンジ!してみませんか。

 

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