【地球アレコレ9】 マレーシア2

 

日本の宗教活動は独特で、○○教、という観念がとても薄く感じられます。
朝起きて神棚にパンパンとやるのも、食事前にイタダキマスというのも、スポーツ選手が入退場のときに会場に向けて一礼するのも、すべてが宗教的な行為だと言えるでしょうが、それは儀式化・様式化され、その行為をもって○○教の信者だという認識もないでしょう。

 

宗教の信者でない多くの日本人にとって、宗教を尋ねられることは困惑の種でもあります。まあ仏教といっておく、というのが対外向けテクニック(?)でしょうが、日本人同士で宗教を尋ねられることは、まずほとんど無いでしょう。
その特性は、まったく異質な隣人がいないことで醸成されてきたことのように思えます。

ここは、マレー半島の北にあるコタバルという街。国境の街でもあります。
隣国タイは仏教が中心の国なので、文化や思考がかなり異なります。マレーシアは人口の半分がマレー系つまりイスラム教徒で、他はインド系(ヒンズー教徒)、中華系(仏教徒)が多くいることは前回書いた通りです。そんな混在した文化的背景のある国でも、ここコタバルは街にイスラムの色彩が強いところです。
(実際に国内の他地域より、イスラム人口は多いようです)

 

隣の国に目を向けると、イスラムで固く禁じている偶像崇拝を平気でする仏教国タイ。まあマレー国内の2割は中華系の仏教徒なので、隣の国どころか隣の芝に目を向けると仏像があったりするのですが・・・。
国境という、本来地球にない境目によって《あちら》と《こちら》を強く意識せざるを得ない状態になっているのでしょうか。すぐそばに見えてしまっていて、経済的にも影響を与え合う異質な隣人から自分たちの価値観を護るために、《こちら》の流儀を頑ななまでに護ろうとする・・・。国境にはそんな作用があるかもしれません。特にイスラムの教えと仏教の教えが、目に見える外見からしてとても異なっていることも一因でしょうか。マレーシアもタイも、それぞれお互いに相手の悪口を声高に言うほどではありませんが、国境沿いの街には他の地域より文化的な頑なさが感じられます。それぞれの国で。

 

分かりやすい例は、ムスリム女性たちのこのヴェール(ヒジャーブ)でしょう。
国内の他地域より、コタバルではとても多く見かけます。完全に乾燥した砂漠でならむしろ肌に良い習慣かもしれませんが、熱帯湿潤気候の西日が強烈な中では暑くてたまらない、、、というのは外国人の感想かもしれませんけど、少なくとも快適ではありません。コタバルの中学生以上の女性は大抵していますし、また肌の露出も避けます。コーランの教えにとても忠実です。
西日があたるなかで白っぽいヒジャーブは美しいですけれど。

 

何が良いか悪いかはあまり関係ないですが、『コレコレをしてはならぬ』という教えが強く根付いている限り、その価値観を持たない隣人と仲良くするために国境は役に立たないようです。逆に『コレコレはいいよ』というポジティブな発想が根本にあると、国境も価値観の違いも楽々と乗り越えそうです。それらは宗教とは言われず、単に文化となって普遍的に根付きますね。

 

日本は島国で、国境という観念が薄いかもしれませんが、だからこそ自分たちの知らない宝物がたくさんあるかもしれません。何より宗教観が薄いことが、もしかしたらとても幸運なことなのかもしれません。狭い枠組みに囚われるという無数の落とし穴は、いずれにせよ社会に多くありますが。

 

そういえば、コタバルは太平洋戦争の火蓋が切られた場所でもあります。真珠湾攻撃の1時間20分ほど前に、当時の領主イギリスと日本軍が交戦を始めました。そんな頃とどれほどエネルギーが変化したかを考えたら、これから先のChange も希望が持てます。
価値観が、宗教や国ではなく、もっと大きな枠組みに、地球に変わる。
私たちがそんな世界をみることができるかどうか、結局は自分次第かもしれません。

 

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