【地球アレコレ1】インド

「どいて どいて!」

そんな怒号が飛び交い、車のクラクションもひっきりなしに鳴り響く。

きっと100年ほど前なら、クラクションはないにせよ、日本も同じだったろうと思われるような騒乱ぶりのインド、コルカタ(カルカッタ)。路上生活者がたくさんいることで有名な街です。

無秩序が秩序だ、

カオスのなかに法則がある、

などなど、文化人類学者たちも割り込みつつ、インドを語るときにしばしば出てくる概念です。インドに限ったことではないのですが、あまりに凄まじいので、そのように語られることが多いのかもしれません。

インドでは、10を超える公用語があります。世界でも稀な文化的多様さ、とも言えるし、まさに混沌と言えるのかもしれません。では何が人々を束ねているのか、インドに住む人々のアイデンティティはどこにあるのか、といえば、その一つは間違いなくヒンズー教にあるでしょう。

ヒンズー教は、しかし、宗教ではないという学者もいます。

な ぜなら偶像崇拝をしているあらゆる宗教を飲み込んでいるので、ヒンズー寺院にいけば、マリア像もキリスト像もブッダも、その他あらゆる “神々”も祀られていて、共通項は三大神がある、ということくらいでしょうか。その三大神も、外国人の目からしたら、メチャクチャに祀られているかのよう に思えることも少なくありません。多神教の一形態として日本の八百万の神々・自然崇拝があるとすれば、ヒンズーの多神教ぶりは、人間の創りだした概念をも 神にして(破壊の神、創造の神など)、どこかから流れ込んだ文化の一つとしての宗教も一緒に祀るという懐の深さっぷり。

その懐の深さが無秩序を作り出しているのかもしれませんが、とにかく交通ルールは一つ、「我が道を行け」。

街 なかの普通の道を通り過ぎるのは、・・・歩行者、バイク、自動車、この辺は当たり前ですが、人力車、オープンカーのようなバイクタクシー、自動車のタク シー、さらには、単独牛、群れの牛、野良牛、飼牛、大八車で綿花や絨毯など、かさばる巨大なものを悠然と運ぶ人、そんな人や動物や車の往来ですでにギュウ ギュウ詰めのところへ、蹴散らすように突進してくる大型バス。だからといってたじろがず、眉一つ動かさない人々。親のそんな背中を見て、同じく平然と歩く 少年。ちなみに牛は常に悠然。神聖な動物扱い。

そんなひっちゃかめっちゃかな状態を束ねるのが、ヒンズーであり、そのヒンズーをより結束させるためのパキスタン(犬猿の仲、イスラム教)との長引く一触即発状態じゃないかとさえ思えます。敵がいるから結束が強まるという…。

地 球には、たくさんの文化があり、考え方、価値観があり、これまでの遺恨もあり、束ねるのは簡単ではないかもしれません。ただ、どんな文化や価値観でも共通 しているのは平和を求める、という点です。ヒンズーの人々でさえ、イスラム社会相手に戦争を起こして相手を絶滅させたいわけでもなく、そもそも自国内の人 口の10%が、偶像崇拝を固く禁じたイスラムの人々です。争う気なら、とっくに数で圧倒的にまさるヒンズーの人々が外へ放り出しているか根絶やしにしてい るでしょう。(インドの方々の名誉のために言っておきますが、彼らの多くはとても忍耐強く、物静かな人々です)

と もあれ、ヒンズーがインドの主流を束ねているかのように、地球人という意識を伝える何かが、いま大至急必要なことでしょう。この脳教育が、宇宙人という敵 なしに世界を束ねるツールの一つ、だと思います。平和を求めるのは脳の本質的な仕組みであり、その脳にある情報が人生を左右し、人類も左右するのですか ら。

 

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